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ラ・ラ・ラ・メディテーション

ラ・ラ・ラ・メディテーション

もういちど恐れを知らない子どもとつながる

質問 「私は寝汗をかきひじょうな不安とともに目覚めて、その不安が1日つづくのです。それは自分が開いてきたのを感じるときに起こります。私は恐ろしいのです。」


OSHO ただ3つのことをするだけでいい……。まず理解すべきことは、あなたのなかにはなにもブロックなどないということだ。それはなにも否定的なものではなく、むしろ成長しているなにかが出口を求めているということ、なにかが流れ出したいのに出口を見つけられないでいるということだ。だからまず理解すべきことは、それを大切にし、それを歓迎するということだ。それを捨てなければならないなにか間違ったものというふうに考えてはいけない。それを支援してやらなければならない。それは病の徴候ではなく、成長しつつある健康の徴だ。[…]

 それに敵対してはいけない。また、けっして過去に対する敵対感情ももつことはない。なぜなら過去はそれなりに役に立ってくれたからだ。過去があなたを現在のように育ててくれた。今ではもうそれは必要ない。が、それには役割があったし、それは役に立った。現在痛みを伴ってきているその構造には途方もない価値があった。それは現在まであなたを護ってくれた。今ではもうそれは必要なくなった。

またそれを捨てるにあたって、けっしてやましさを感じることもない。というのは、その構造はあなたの両親、あなたの社会、あなたの教会によって与えられたために、それを捨てるのはあたかも彼らを裏切っているように思われるからだ。

 人びとがそれを捨てたがらないのはそのためだ。彼らはまるで贈りもののようにそれに執着する。が、それは違う。あるときには、それは必要だった。子どもにはあらゆる保護が必要だが、早晩その子にはそういう保護が要らなくなる。だがそれらの保護は深く根づいてそれが継続する。そして遅かれ早かれその構造と良心の間で葛藤が起きる。[…]

 あなたはふたつのことをしなければならない。それが役に立つだろう。ひとつは、毎晩眠りに入る前にベッドに坐って明かりを消しなさい。考えられる限り、思い出せる限りの幼い子どもになりなさい??

たぶん3歳くらいだろう。その辺りが最初の記憶のようだ。それを超えると忘れてしまう、ほとんど完全に忘れてしまう。3歳の子どもになりなさい……。まわりは真っ暗で、その子はひとりぼっちだ。声を上げて泣きはじめなさい。身体を揺らし、ジベリッシュを、どんな音でもいい、無意味なことばを言いはじめなさい。そこからどんな意味も取り出す必要はない。というのは、意味のあることばになったら必ず制御することを、非難することを始めるからだ。意味をなす必要はない??どんなことでもいい。

身体を揺らし、声を上げて泣き、涙を流し、笑いなさい。狂ったようになってことが起こるに任せなさい。そうしたら驚くだろう。たくさんの音が来はじめる、浮上しはじめる。じきにあなたはそのなかに引き込まれ、それは強烈な、熱烈な瞑想になる。叫び声が出てきたら叫びなさい??まったく誰に向けているのでもない、宛名のない、ひたすら楽しむだけのための叫びだ。10分から15分、ただ楽しむといい。

 それから眠りに入りなさい。そういう子どもの素朴さと純真さをもって眠りに入りなさい。そうすれば2、3週間もしないうちにその夜の悪夢は消えて、朝になっても寝汗をかいておらず、胸苦しさを感じなくなっているだろう。これがあなたのハートを取り囲む全構造を溶かすための、もっとも重要なことのひとつだ。もういちど子どもになることだ。これは夜のためだ。

 そして日中は、それが可能だと思ったらいつでも……たとえば浜辺なら子どものように走って、貝殻や色石を集めはじめるといい。あるいは庭にいるときなら、もういちど子どもになりなさい。蝶を追いかけて走り出してごらん。自分の歳など忘れることだ??小鳥と、あるいは動物たちと遊びなさい。そして子どもたちを見つけたら、いつでもその仲間に入りなさい??大人のままであってはいけない。そういうことが可能なときにはいつでも……芝生の上に身体を横たえて、子どものように日の光を浴びるといい。それができるときにはいつでも、素っ裸になって子どものように感じたらいい。

 必要なことはただただ、自分を自分の子ども時代ともういちど結びつけるということだ。そうすればそれは消える。なぜなら、それはそこで始まったものだからだ。それが始まった所まで戻って、それを掴まなければならない。時間のなかを、自分の記憶のなかを遡らなければならない。根っこまで戻らなくてはならない。ものごとというものは、その根元を掴むことによってしか変えることはできないからだ。それ以外では不可能だ。人は樹の葉を切りつづけることはできるが??それは役に立たない。枝を剪定することは、役に立たない。実際、枝を剪定することはその樹をより繁らすことになる。その樹はもっと繁ることになる。1枚の葉を切れば、3枚の葉が出てくる。そしてそれがみんながやりつづけていることだ。これが対症療法だ。

 そのことが始まった根元まで行きなさい。それは私たちが3歳かそこらのときに始まったに違いない。ほとんどのつねに、あらゆる構造はその時期に始まるからだ??男の子の場合は4歳頃、女の子の場合は3歳の辺りだ。女の子の方が、男の子より1年早く智慧がつくからだ。だからその違いがある……。

がとにかく、3歳かそこらだ。子どもがひじょうに賢い場合は、2歳か2歳半の可能性もあるが、それはひじょうにまれだ。だからこのふたつをやってみるといい。

 夜には、それが瞑想、毎晩の瞑想にならなくてはいけない。そうすればどれほどのくつろぎが来るか??自分の眠りがどれほど深く、どれほど休息に満ちたものになるか、あなたは驚くだろう。朝になっても、あなたは悪夢を見たり、寝汗をかいたり、胸苦しい感じになったりしてはいないだろう。いや
、かえって逆に、あなたは完全にくつろぎ、緩み、どんなしつけもされていなかった小さな幼児に戻ったように感じるだろう。それから日中は、それができるときには、いつでも子どもになるチャンスを見逃してはいけない。風呂に入ったら鏡の前に立って子どもがよくするようにいろんな顔をしてみてごらん。湯船に入ったら、子どもがよくやるように水をはねとばしたり、プラスチックのアヒルや玩具で遊ぶといい。いくらでも見つかるはずだ。

 肝心な点は、もういちど自分の子ども時代を生きはじめるということだ。そうすればそれはなくなる。そしてそれがなくなれば、あなたは真の開花を感じるだろう。なにかがそこで花開こうとしている、ん? だがそのスペースはどこでも手に入らない。そのスペースは自分で創り出さなければならないのだ。


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